若手精神科医のキャリア
これは若い精神科医が自らのキャリアを築く上で、医学知識のみならず社会・経済の動向に目を向けるべきであるという提言です。
※一般の方はスルーしてください。

精神科医過剰時代の到来
医療全体として医師過剰時代に突入すると予測されていますが、精神科医はさらに過剰となる見込みです。若手精神科医の方々は既にご承知かもしれませんが、これからの精神科医には就職難という厳しい現実が待っています。
もう長い間、病院から地域へという運動の下に精神科病院の患者数が減少しています。これは人権擁護の観点からすれば、とても良いことです。ただし、既に多くの精神科病院が患者不足により供給過多となりました。三師統計を見ると、そろそろ精神科病院では精神科医が減り始める兆候が出ています。精神科病院の求人は減っていきます。
このため、これからは雇用を求めて精神科病院からクリニックへ移動する精神科医が増えるでしょう。しかし、既に入院外件数の増加を上回る速さでクリニックの精神科医が増加しています。これに拍車がかかれば、クリニックでも精神科医が過剰になるのは時間の問題です。多くの精神科医が職探しに苦労することになるでしょうし、年収の減少も覚悟する必要があります。
ご承知のとおり、既に精神科のクリニックの診療報酬は大きく下げられています。医療経済実態調査の結果を見るに、精神科のクリニックの利益は他の診療科クリニックよりもかなり低くなっています。この状況でクリニック側の精神科医が過剰になるわけですから、一人当たりの売上や利益は極端に減ります。
チェーンクリニックの台頭
こうした社会的背景の中、チェーン展開するクリニックの倫理的な問題が浮上しています。最近は精神科のクリニックが急速に増えていますが、なぜか参入障壁が低いと思われて、営利のみ追求する人間に目をつけられてしまい、都市部に悪徳なクリニックが乱立しています。多くは一般社団法人で、経営者は医療資格を持ちません。こうしたチェーンクリニックでは、経営陣が医師に初診をたった15分で終わらせるよう指示していたり、他の診療科の医師が精神科医のふりをして診療したりして、必死の思いで受診する患者さんに対して適当な診断をつけています。ひどいクリニックでは担当医が毎回のようにコロコロと変わるなど、精神医療としては非常識としか言いようがない状況になっています。こうした悪徳クリニックでは、多くの患者さんがクリニック経営者の利益の犠牲になっています。
しかし、行政はこの事態を放っておかないでしょう。すでに行政内でこうした精神科のチェーンクリニックを問題視する声が上がっており、行政の会議で議題に上がっています。非指定医の通精の減算は、こうした悪徳チェーンクリニック対策です。
また、チェーンクリニックの急拡大はリスクの高い経営戦略です。インフレにより開業の初期投資は急増しています。創業期には多額の広告費で患者を誘引するため、莫大な経費がかかります。商標に対して社会的信用を築ければブランド化できるでしょうが、逆に、社会的な問題を起こして悪評が燃え広がれば、いくら広告費をかけても患者数が減り、巨額の赤字を計上することになります。悪評が立った飲食のチェーン店が赤字に転落するニュースを聞いたことはないでしょうか。チェーン展開するクリニックでも同様の事態になりえます。もしも急拡大するなら全店舗で法令やガイドラインを守り、人材マネジメントを徹底し、トラブルを防止する措置を強化すべきです。コンプライアンス(法令や社会規範を守ること)もガバナンス(組織の管理)もないのに急速にチェーン展開するのは無謀なギャンブルであり倒産リスクが高いです。
社会に背を向ければ持続困難
悪事は短期的に栄えても、長続きしません。奢れる者は久しからずです。
そもそも、昔から精神医療は倫理的な問題をはらんできました。精神科病院では長年にわたり虐待があり、今でもあります。病院の利益を守るために、不必要に入院日数を延ばすところも珍しくありません。これらは明白な人権侵害であり、国際問題にもなってきました。精神科病院で働く多くの人たちが、このような非道な事態を見て見ぬふりしてきました。その結果、訴訟を起こされて敗訴する精神科病院が出てきて、精神科病院の闇がマスコミにより報道され、精神科病院の社会的信用は失墜しました。今後、精神科のクリニックでも同じことが起きるでしょう。
精神科病院の人権問題と同じように、悪徳チェーンクリニックの自滅は対岸の火事ではなく、精神医療全体にも波及する可能性があります。風評被害により精神医療全体の社会的信用が低下し、全国的に多くの患者さんが受診を控えるようになれば、全クリニックの経営が悪化します。本当なら、自分たちの医療を守るために、自浄作用を発揮して、悪徳クリニックと距離を取るべきです。
結局は誠実な医療がもっともリスクが少なく持続可能性を担保します。数十年単位で考えれば、利益をもたらすのは誠実さです。
ただし、短期的な利益が無ければ途中で潰れてしまいますから、短期的な利益を疎かにすることはできません。そして、貧すれば鈍するで、赤字続きの医療法人では、誠実さよりも利益が優先されやすくなります。堅実な経営なくして誠実な医療はありません。したがって、経営と誠実な医療の間には相互作用があり、互いに影響し合います。
若手精神科医への提言
以上の社会状況を踏まえれば、未来を担う若い精神科医は、精神医療の知識だけでなく、経済、経営、法律などの社会的な知識も身につけ、社会の動向を知るべきだと思います。そうしなければ、将来的に勤め先が倒産して職を失ったり、上の指示に従って行ったことが倫理的な問題になったりして、自分のキャリアを失うリスクがあります。自分の将来やキャリアを考える上で、社会の知識を身につけることはリスクヘッジになるのです。医学的な知識は教科書やガイドライン、メタ解析結果などを参照していただければ十分だと思いますので、医学以外の事柄について、いくつか提言させていただきます。
-
法律や社会規範を知る:最近の世の中では倫理的な問題で批判される傾向が強まっていますが、法律や社会規範を知らないために逸脱してしまうことは珍しくありません。一般の企業でも法令のコンプライアンス(法令遵守)は重要課題であり、精神科医も最低限の法律や社会規範を知っておく必要があります。また、管理職の方は、ガバナンス(部下に法令を守らせる)ことも重要になります(パワハラする上司は論外です)。若手の精神科医の方々は、医師法、医療法、精神保健福祉法あたりを学んだことがあるかと思いますが、それ以外にも法律は沢山あります。すべて知るのは困難ですが、特に医師/精神科医がよく関わるものとしては、療養担当規則(健康保険法)、労働契約法・労基法・労働施策総合推進法・障害者雇用促進法などの労働関連法、税金や確定申告の制度、経済犯罪(特に背任・横領)、民法上の信義則・説明責任・善管注意義務などがあります。ネットで検索するとかAIに尋ねるだけでも良いと思いますので、一度はざっと目を通しておいてください。
-
行政の仕組みを知る:医療は公共性が高く、政府・行政によって制御されています。日本は特にこの傾向が特に強くなっています。精神保健指定医が診療報酬で重視されるのも、これと無関係ではありません。行政と対立しても得るものはありませんから、積極的に連携できなくても、せめて行政を知る努力を勧めます。まずは診療報酬の仕組み、算定基準や施設基準などを調べてみてください。また、診療報酬や社会保障制度がどのような議論を経て決まっているのかも知っておくと理解が深まり、将来の予測に役立ちます。最近では、行政は精神医療と多くの施設・業界との連携を求めており、診療報酬の改定時にもこれが反映されてきています。その他、福祉制度や社会資源などについても知ることができれば、普段の診療にも大いに役立ちます。これからの精神医療はリカバリーが重視され、このためには社会資源の活用が重要になってきます。
-
決算書を読む:最近は医療機関の倒産が増えています。倒産情報は事前に従業員にすら知らせてはいけないものなので、従業員はある日突然倒産を知らされることになります。その時に驚かないよう、まずは自分が勤める医療法人の過去3年分の決算書を閲覧してみてください。医療法人の決算書(事業報告書)はオンライン上で公開されています。決算書で赤字が続いていないか、現預金の減少が続いていないかを見てみれば、倒産リスクを知ることができます。なお、一時的な赤字は問題ないものですが、現預金が無くなると倒産するので、現預金の推移(キャッシュフロー)を見ることが大事です。現預金の残高は貸借対照表(バランスシート)に記載されています。決算書を細かくAIに分析してもらうこともできますが、その場合はPDFを読み込ませるよりも、スプレッドシートに3年間の推移を入力してからAIに読み込ませる方が正確に分析してもらえます。さらに、数字は比較しないと評価できませんから、他の医療法人の決算書とも比べてみましょう。ずっと精神科病院に勤務したい人は、決算書をチェックして、長く続きそうな精神科病院に就職してください。
-
社会的な統計をチェック:厚労省、総務省の統計など、行政主導の社会的な統計もチェックしましょう。三師統計、病院報告、医療費の動向調査、医療経済実態調査などは医療経営においても参考になるはずです。また、帝国データバンクが医療機関の倒産情報を集計しています。WAM(福祉医療機構)の「SC Research Report」も医療経営にとって重要な指標です。また、できればGDP、物価、円相場、株価など医療以外の経済指標にも目を向けると、マクロに経済を捉えることができます。経済的な知識が増えると、診療中に経済的な悩みに寄り添うことが容易になるというメリットもあります。
-
資産形成:これからの日本ではインフレが長期に続く予測ですが、その場合は老後の生活に困るはずです。インフレは指数関数的に増えていきますので、数十年後の物価は非常に高くなる可能性があります。現金の価値はインフレにより低下していきますので、預貯金は不利です。NISA口座などを作って長期目線で投資を行い、インフレでも価値が下がらない資産の形成に努めてください。長期投資も指数関数的に増えますので、数十年単位でインデックス投資するのがお勧めです。短期トレードや個別株への投資はギャンブルでありお勧めしません。長期投資は若い時から始める方が有利なので、なるべく早く始めてください。なお、株や投資信託は数日で現金化できる流動資産ではありますが、価格が大きく変動するため、現金化するタイミングに気をつけないと大損します。したがって、これらはすぐに現金化できると想定しない方が良いです。急な転職や休職の可能性を考えて、数ヶ月分の生活費は現金・預金で蓄えておきましょう。突然勤め先が倒産する場合もあります。日頃から節約してお金を貯めてください。備えあれば患いなし。贅沢は敵です。
-
節約が最適解:自ら開業するなら、経営の知識も必要です。経営学の入門書を読むのは大事ですが、様々な手法が紹介されており、クリニックの経営において何が良いのか分からないかもしれません。医療分野の経営では、人材マネジメントや広報なども大事ですが、私は節約が最も大事だと考えています。華美な内装を避けましょう。贅沢な家具や備品は不要です。機械やデジタル技術に任せられる業務は任せましょう。無駄な会議は多額の人件費の喪失です。医療機関のコストの中で最も割合が高いのは人件費です。それを認識するなら、おいそれと会議は開けないはずです。あらゆるコストを見直してください。そうしなければ、インフレが進む世の中では生き残れません。高いコストは医療の質にも影響します。保険診療は公定価格ですから、増えたコストを価格転嫁できません。多額のコストを回収するために、患者の不利益を無視する心ない診療を強いられるリスクがあります。節約と誠実な医療は切っても切れない関係です。
-
デジタル技術・AIの利用:すでに多くのデジタル技術が普及し、今後はAIが普及していくというのは大方の予想です。精神医療業界では、オンライン診療やカルテ記載などが話題になることが多いのですが、ビジネス上の利点を考えれば、デジタル化やAI利用は人件費の削減に用いるべきものであり、節約術の一環です。デジタル技術やAIの利用料と人件費を見比べて、利益があると判断できるものを活用するようにしてください。人件費はそのままでデジタル・AIの利用料が追加され、結果として経費が増えるということのないようにしましょう。
-
誠実さこそが最大のリスクヘッジ:社会規範とも重複しますが、患者さんの自由と人権を重んじてください。自分の考えを押し付けたり、上から目線で話してはいけません。怒鳴るのは論外です。精神科病院で強制する癖がついてしまった人は、修正に時間がかかるかもしれません。残念ながら、悪い見本となる方はたくさんいらっしゃいますが、誠実な医療を行わない精神科医、法律や社会規範から逸脱する医療機関などからは距離をとりましょう。誠実な勤務先を選んでください。朱に交われば赤くなるものです。不誠実な方々と関わっていると、自分の態度もそういう方々に引きずられてしまいます。悪い先輩よりも社会の声に耳を傾けましょう。営利企業がコンプライアンスや社会的責任を重視するのは、持続可能性を維持するためです。誠実さこそが最大のリスクヘッジです。数十年先の将来を考え、リスクを避けてください。
急激な社会の変化についていくのは大変ですが、悩まれる若い精神科医の方は私に助言を求めてくださっても構いません。皆様にはそれぞれの立場があるでしょうから、その立場で助言します。ずっと大学の医局にいたいとか、精神科病院で長く働きたいという方にも、その視点で助言します。もちろんクリニック経営について質問してくださっても結構です。これは無償であり、相談料やコンサルト料は一切いただきませんし、無償の代わりに宗教や政治団体に勧誘することもありません。また、私の助言を無視するのも聞く側の自由です。気兼ねなくご相談ください。
Contact
本相談はあくまで若手精神科医に貢献するためのボランティアであり、精神科医以外からの相談に応じる義務はありませんので、予めご了承ください。また、相談の際、身元の確認として、医師等資格確認検索に必要な情報をお聞かせいただきますので、ご勘弁ください。もちろん、身元確認以外の目的に個人情報を利用することはありません。